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★「お葬式」について


葬儀に限らず、これからの季節、法事や墓参りをする家庭が多いと思います。

そこで、浄土真宗本願寺派(西本願寺)のホームページから、仏教とは如何なる教えか、確認してみました。

忙しい人のために大事だと思われるところを抜粋してみると、
  • 「仏」とは、死んだ人のことを指し示す言葉ではなく、一切の悩み苦しみから解き放たれた人、悟り目覚めた人を言うのです。
  • 親鸞さまは、阿弥陀さまの救いは死後に決まるのではなく、『現生正定聚』「今生においてこの身このまま、必ず仏とさせていただく仲間の数におさめ取られること」と明らかにして下さったのです。
  • 今生きている間に阿弥陀さまの本願に出会い、必ず仏とさせていただく人生へ救い取られることこそ、急ぎ求めなくてはならない人生の一大事と、親鸞さまは明らかにして下さったのです。


といっても、そんなに長い文章でもないんですけどね(^_^;)

以下、コピペです。


往生浄土への道|本願寺(西本願寺)

往生浄土への道

人生、最後の儀式となる「お葬儀」。今回は、その「お葬儀」にふれながら、浄土真宗のみ教えを共に学ばせていただきたいと思います。

仏教とは「私が仏に成る教え」であり、この人生を仏に成るために生きることが大切なことといえます。そして「仏」とは、死んだ人のことを指し示す言葉ではなく、一切の悩み苦しみから解き放たれた人、悟り目覚めた人を言うのです。

仏教各宗派、それぞれの教えに基づき、人生の歩みの進め方、仏に成る道が説き示されています。仏に成る道が違うのですから、葬儀の内容も違ってきます。

私たちの信仰する浄土真宗の葬儀では、・故人の冥福を祈ったり、・故人の成仏を願ったり、・導師が引導を渡したり、・故人を眠らせたりすることはいたしません。

浄土真宗の宗祖 親鸞さまは『浄土和讃』に、「真実信心うるひとはすなはち定聚のかずにいる不退のくらゐにいりぬればかならず滅度にいたらしむ」(『浄土真宗聖典』註釈版567頁)とお示し下さっています。

そのお心は、「阿弥陀さまより まことの信心を得た人は、次の世に必ず仏とさせていただくことが定まった人で、二度と迷いの世界に落ちることなく、必ず浄土へ生まれることが決まるのです。」と味わわせていただけます。

親鸞さまは、阿弥陀さまの救いは死後に決まるのではなく、『現生正定聚』「今生においてこの身このまま、必ず仏とさせていただく仲間の数におさめ取られること」と明らかにして下さったのです。

つまり、「どんな臨終を迎えるか」「どんな葬儀を出すか」を問題にするのではなく、今生きている間に阿弥陀さまの本願に出会い、必ず仏とさせていただく人生へ救い取られることこそ、急ぎ求めなくてはならない人生の一大事と、親鸞さまは明らかにして下さったのです。

本願寺第八代門主、蓮如さまは、この世で救われる身になることを「後生の一大事の解決」とおっしゃっています。
『白骨のご文章』には、「たれの人もはやく後生の一大事をこころにかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまゐらせて、念仏申すべきものなり」(『浄土真宗聖典』註釈版1204頁)と、お示し下さっています。

そのご文章の中で蓮如さまは、「あの人も死んだ、この人も死んだと、他人の死を悲しんでいるこの私の命も、朝(あした)には紅顔ありて、夕(ゆうべ)には白骨となれる身です。そのことを決して他人事にはせず、自分の命のことであるからこそ、生きている間に急ぎ求めて 阿弥陀仏に救われて 後生の一大事を解決しておかないと間に合わない」と、警鐘を鳴らしていて下さっています。

ところが実際はどうでしょう?「私はまだまだ死なない」「まだ仏教を聞く年ではない」「その時が来たら聞くから」と、後生の一大事の解決を急ごうとせず、後回しにしてしまってはいないでしょうか?もしかしたら、親鸞さまや蓮如さまの思いに反して、死後に「立派なお葬儀を執り行ってもらえさえすれば大丈夫だろう」と、考えているかもしれません。

その葬儀の現状に目を向けてみると、悲しいことに、故人を私たちの命を脅かすようなものとして捉え、「友引」の日に葬儀を出すことを避けたり、また、死を「穢れ」として忌み嫌い、塩などで清めるなどということが見受けられます。それらの行為は、人生を終えた故人を、人間界よりも更に深い悩み苦しみの世界へと落としこめていることに他ならないのです。

仏を仏と見ることが出来ない私たち、故人を口では仏といいながらも実のところお敬い出来ていない私たち。そんな、自己中心的で思いやりに欠け、勝手気ままな生き方しか出来ない私たちだからこそ、命のある間に阿弥陀仏の本願に出会って、自分勝手な生き様に気づき目覚め、間違いなく仏とさせていただく人生を恵まれてくれよと、親鸞さまや蓮如さまは、その生涯を通してお伝え下さったのです。

人生最後の葬儀なのですから、阿弥陀さまの本願に共々に救われいくことに対する報恩感謝の気持ちを込めて、勤めさせていただきたいことです。





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